Seoul Life

韓国のソウルに住んでいます。 日本語・韓国語教育関連、文化や政治、韓国で話題のニュースや舞台などについて書いていきたいと思います。

カテゴリ: ひきこもり

【影响!韩国Hikikomori的自白]以Hikikomori的5年为规格,准备以“Undunkos”的身份创业的韩国青年Yoo Seung-kyu的挑战




我完整地翻译了他的话。
据说现在韩国有37万名15-39岁的退学青年。
与日本不同,没有支持框架或中心,只有五个私人支持小组。其中,Yoo Seung-kyu 先生为有关各方的声音发声,并将其发送到社会,在“一个让hikikomori 成为一种规范的社会”的口号下,试图摆脱hikikomori 的年轻人是“隐藏的高阶”。(通过做山上的hikikomori等练习剑的战士的形象)“

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Yoo Seung-kyu(完整采访)

如果将它们全部结合起来,我认为大约需要 5 年。
我以为我是唯一一个这样生活的人。
我以为这个世界上只有我像垃圾一样活着。
即使我像垃圾一样生活,但我不想让任何人知道它的样子......
最初,它始终是一个积极的角色。同样的人一直认为我是一个活跃的人。


<自主开发时间2021>
――战胜了隐居的高级隐士企业家柳承圭――


刘成圭将充分利用五年的引子森职业生涯,准备创业。
目前,我在一家社会企业工作,该企业为韩国人通常称为“隐居者”或“隐士型孤独者”的人提供支持。
所以我真的在那里完成了大部分工作。

我的主要工作是像我一样过着戒断的生活,训练摆脱它的人,并做支持者的活动。利用他们的力量,我也去参观咨询,做音乐制作等认知度提升项目,做图片展,但我主要做的是监督工作……

就算说是隐士(隐士型),也没有明确的定义。这是社会最接受的词,所以我就用它。在韩国,如果你大约6个月不出门,除非你有残疾或重大的精神或病理原因,你可以使用那个条件。我们称之为撤回。

在我大约 18 或 19 岁的时候,我几乎无法走出家门。


“缺乏沟通,创造了hikikomori”

我想当时我被撤回的原因是多种多样的,但实际上我在家里无法很好地交流。我的父母有这样的背景,他们不得不盲目地学习和生活。我想我受到了那种文化的影响。

一直都是这样。我的意图并不重要,我不知道它是什么,但我从小就一直感到沉重的负担,我认为我所有的时间都在没有交流的情况下度过。

一开始,我大概一周出去一次,如果约了朋友,我大概一个月出去一次。但是从某个时候开始,我变得抑郁了,白天和黑夜逐渐随意颠倒,当我想到一天之内做不到自己真正想做的事情时,我变得昏昏欲睡,我觉得它变成了。

那个时候,房间里真的没有立足之地。无论我踩到哪里,总是有嘎嘎作响的声音,到处都是垃圾。我认为昆虫真的和各种昆虫一起生活。


“我以为我是唯一一个像垃圾一样生活的人。”

我想有各种各样的原因,但最终,正如我之前所说,我的视野是这样的。我陷入了必须更加努力或做得更好的想法中,因为我无法灵活思考,但当时我真的不知道要寻找什么,即使我想摆脱这种想法。
我很懒,我正在跳过...

碰巧我最后把这件事告诉了我的朋友。但即使在那个时候,我也认为如果我谈论这个,每个人都会讨厌它,因为它与我迄今为止的形象完全不同。但是当我真正和他交谈时,他非常听我的话。一个人写了一封信,当他告诉我所有的衣服都烂了时,他给我买了一套袜子。 “出来穿吧。”我有一个朋友在我打电话时哭了。我什至不认为与这样的人交谈是个好主意。这就是思维方式如此不同的原因。
那种东西连锁反应,开始一点一点软化。我也去了咨询中心。

但即使通过那种事情,它也没有奏效。
但有一天,却是那么的沮丧,“世界上真的没有像我这样的人吗?”“也许这不能单独解决?”“我们试着单独思考,单独解决。我很担心。 ,所以我才这么想的。”思维方式变得柔和了一些,于是我搜索了各种电影。我搜索并查看了“金先生的漂流记录”,“震撼东京”和“英雄是如何解决的?”,并且在这种情况下,我也搜索并阅读了论文。

然后,它是一篇日本报纸,但它写在那里(关于支持团体)。所以我想,“哦,在国外有这样支持我的组织,在韩国不是吗?”,直到那时我才认为我像一个“hikikomori”。我搜索了它.

即便是这个时候,我觉得屋子里也确实有很多人心态坚定,借给自己一个惩罚。
摆脱他们的方法不是“请来咨询中心”或“有这种支持”,而是“有类似的人”和“那个人也做过”。我以为是更重要的是将这种东西视觉化。
 

“我用全身打破的心墙”

在日本,有不少支持中心是由这样的社区生活组成的。
在横滨市,约有200人参加了同居计划,其中50%以上支持搬入费用。以独立为目标,走出隐匿处。
但是我实际上参与了这个模型,而韩国没有那么多基础设施,所以我试图以稍微小一点的形式进行准备。
有了大公司,降低了hikikomori的参与门槛。

我录了一个过去什么时候撤回的视频,但我想我没有想过如何组织这个。
但当我第一次剪辑视频,放到PPT里展示给大家看的时候,真的是“一张图千言万语”。很多人看到了,每个人都有这样的反应。 “哇,真的有这种情况吗!?” 对这个问题的态度就好像变得前倾似的。

创建了这样的可视化材料后,我能够逐渐进入下一步。所以我觉得,“我应该这样做。”
在逐渐了解这个的过程中,一开始我在想,“哦,我应该怎么去大公司做演示?”我觉得我可以在里面组织它。
此外,我认为逐渐减少结识新朋友和拓宽视野等行为的负担已经成为可能。

如果你曾经痴迷于必须看起来很酷,只是看起来不错,我认为你的经验给了你这种灵活性。
以这种灵活性为武器,我一边工作一边与许多人发生冲突。它是


“哪怕是一连串的碰撞”

如果你曾经认为自我发展是一件了不起的事情,现在你可以通过学习来学习。我认为我是那种与自我发展相冲突的人。但有人说,自我发展必须像坐在办公桌前学习一样。

试着起床,养成早上起床的习惯,或者晚上没人出门的时候出去走走。
不要认为自我发展很可怕。

当我碰巧出来和我的朋友谈论我自己时,我想,“为什么,这对我来说可能不是黑历史。”“也许这可能是一个优势。”我能够做到。

事实上,这是我给你们所有人的信息。如果你还不能同情这个词,我想对那些需要多一点勇气的人说这句话。
“停止和那些说世界可怕的人约会。这没什么大不了的。”
我觉得人们教会了我这个世界太可怕了。所以我很胆小。
当我碰到它的时候,有很多人比我想象的要多帮助我,世界上有很多人在做伟大的工作。


“对于那些有一天会走出房间的人”

hikikomori这个领域处于世界的盲点,还没有被抓住,所以如果你离开它几年,它可能会变成8050问题或9060问题。如果发生这种情况,无论您如何尝试改变它,都不会容易。我想成为一个向世界传达这一点的人。




【衝撃!韓国のひきこもりの告白】ひきこもり5年の経歴をスペックとして生かし、「隠遁高手(ウンドゥンコス)」として創業を準備する韓国の青年ユ・スンギュの挑戦

彼の言葉を全文翻訳してみました。
韓国には今、15~39歳で37万人のひきこもりの若者がいると言われています。
日本のように支援の枠組みもセンターもなく、民間の支援団体も5本の指に入るほどしかありません。その中で、ユ・スンギュさんは、当事者の声を代弁して社会に発信し、「ひきこもりがスペックになる社会」を合言葉に、今ひきこもりから脱しようと努力している若者たちを「隠遁高手(山ごもりなどをして剣の修行をする武者のイメージ)」として応援する活動をしています。

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ユ・スンギュ (インタビュー全文)

全部合わせたらだいたい5年くらいになると思います。
自分だけこんなふうに生きているんだと思いました。
僕だけがこの世界でこんなふうにゴミみたいに生きているんだと思ったんです。
こんなにゴミみたいに生きているのに、その姿を誰にも知られたくないし……。
もともとはいつも活発な役割だったんです。同期たちにはいつも僕が活発な人だと思われていました。


<自己啓発アワーズ 2021>
- ひきこもりを克服した隠遁高手創業家、ユ・スンギュ -


ひきこもり生活5年の経歴を生かして創業を準備しているユ・スンギュです。
現在、俗にひきこもりとか、韓国語で「隠遁型ひとりぼっち(ウンドゥンヒョン・ウェトリ)」と呼ばれている人たちを支援する社会的企業に在職しています。
そこで、本当にそこでほとんどの仕事をやっています。

僕がメインでやっている仕事は、自分のようにひきこもり生活をしていて、そこから脱け出た人たちを養成して、サポーターズ活動をしています。彼らの力を活用して、訪問相談にも行き、音楽制作のような認識改善プロジェクトをやったり、写真展をやったりしているのですが、その仕事を統括する仕事を主にやっています。

ひきこもり(隠遁型ひとりぼっち)と言っても、まだはっきりとした定義がされていないんです。一番社会で通用している言葉だから使っているだけで、韓国では約6ヶ月くらい部屋の外に出ない場合、障害とか精神的、病理的な大きな理由がある場合を除いて、その状態をひきこもりと呼んでいます。

18歳、19歳くらいの時に、家の外にあまり出られなくなってしまったんです。


「コミュニケーションの不在、ひきこもりをつくる」

その時ひきこもってしまった理由は、ほんとにいろいろなものがあったとは思うんですけど、実は家庭の中で、コミュニケーションがうまくできなかったんです。勉強しないといけなかったし、やみくもに努力しながら生きなければいけないという、そういう背景のある両親だったんです。そういう文化の弊害を受けたと思います。

いつもこんな感じだったんです。僕の意思は別に重要じゃなくて、なんだかわからないけれども強い負担感を幼心にずっと感じていて、コミュニケーションの不在の中でずっと過ごしていたと思います。

最初は週に1度くらいは外出もして、友達と約束があれば1ヶ月に1度くらいは出かけることもしていたんです。でもある時から、鬱にもなって、だんだん昼夜がランダムで逆転するようになって、そして自分が本当にやりたいことは一日のうちで一つもできずに生きていると思ったら、だんだん無気力になってしまったと思います。

その当時は、本当に部屋に足の踏み場もありませんでした。どこを踏んでも必ずガサガサする音がする、ゴミだらけでした。虫もほんとに、いろんな種類のと一緒に住んでいたと思います。


「自分だけがゴミのように生きていると思っていました」

きっかけはいろいろあったと思うんですけど、結局先ほど話したように、僕の視野がこんな感じだったんですよね。柔軟に考えられなくて、もっと頑張らないといけないとか、うまくやらないといけないという考え方に囚われていて、でも当時は、その考え方を抜け出したくても、なんて検索したらいいのかもよく分からなかったんです。
僕が怠け者で、サボっていて……。

それが、偶然友達にそれを話すことになったことがあったんです。でもその時にも、僕がこんなことを話したら、今までの自分のイメージと全然違うから、みんな嫌がるだろうなと思ったんです。でも実際に話してみたら、すごくよく聞いてくれたんです。一人は手紙を書いてくれたし、服がみんなもう腐っているという話をしたら、彼は靴下セットを買ってくれました。「それを履いて出てこいよ」って。電話をしながらポロポロ泣いてくれた友達もいました。僕はこんなこと、誰かに話していいことだとも思っていなかったんです。そのくらい、考え方がかちかちだったんです。
そういうことが連鎖的に作用して、ちょっとずつ柔らかくなり始めたんです。相談センターにも行ってみたし。

でも、そういうものを通しても、うまくいかなかったんです。
でもある日、あまりにももどかしくて、「僕みたいな人間がほんとに他にもこの世にいないのかな?」「これはひょっとしたら一人では解決できないんじゃないか?」「一人で考えようとして、一人で解決しようと思って悩んで、そのせいでこんなふうになっちゃったんじゃないか?」というふうに考え方が少し柔らかくなってきて、それで映画もいろいろ調べてみたんです。「キム氏漂流記」とか、「シェイキング東京」とか、「主人公はどうやって解決したのかな?」って思いながら探して観て、その脈絡で、論文も探して読んでみたんです。

そうしたら、日本の論文だったんですけど、そこに(支援団体のことが)書いてあったんですね。それで「ああ、外国にはこんなふうに支援してくれる団体があるのか、じゃあ韓国にはないのかな?」と思って、その時に初めて、自分が「ひきこもり」のようなものなんじゃないかと思って、検索してみたんです。

今この瞬間にも、家の中で、固い考え方を持って、自分自身にペナルティーを貸している人がほんとにほんとにたくさんいると思います。
彼らが外に出られるようにする方法は、「相談センターに来てくださいね」とか、「こんな支援があります」とかよりも、「似ている人がいる」、そして、「その人もやり遂げた」、こういうことを視覚的に見せることがもっと大事なんじゃないかと思ったんです。
 

「全身で壊した、心の壁」

日本には、こんなふうに共同生活の形態でできている支援センターが結構あるんです。
横浜市などでは、大体200人くらいが共同生活をするプログラムに参加していて、横浜市で50%以上はその入居費用を支援してくれるんです。ひきこもりを抜け出す、自立を目指してですね。
でも僕は、実際にこのモデルに参加してみて、韓国ではそのくらいのインフラが構築されていないし、それで僕はもう少し小さい形で準備をしようとしています。
大きな会社と一緒に、ひきこもりからの参加の敷居を低くするためにですね。

僕が過去にひきこもっていた時の映像を記録しておいたんですが、これをどう整理して見せるかということについては、まだ考えられていなかったと思うんです。
でも、初めてその映像を編集してPPTに入れて人々に見せたら、本当に「百聞は一見に如かず」だったんです。多くの人はそれを見て、みんなこんなリアクションでした。「うわあ、こんな状況が本当にあるんですか!?」そしてこの問題について、姿勢が前屈みになってくれる、そんな感じだったんですね。

そういう視覚化の資料を作ったことがきっかけで、少しずつ次のステップに進んでいくことができたんです。そこで「こんなふうにやればいいんだ」って感じたんです。
こんなことをだんだん知りながら、初めは「ああ、大企業に行って、どうやってプレゼンすればいいんだろう」と思っていたのが、今は「こんなふうにして、あんな風にしてやってみよう」というプロセスが頭の中に整理できたような気がします。
また、新しい人に会いながら、見聞が広くなっていく、そういう行動をだんだん負担に思わずにすることができるようになったと思います。

以前は、かっこよく見えなくちゃいけない、ナイスな姿だけ見せないといけない、という強迫に苛まれていたとすれば、今は自分の経験を通して、そんな柔軟性が生まれたと思います。
そういう柔軟性を武器にして、たくさんの人たちとぶつかりながら仕事をしています。 


「衝突の連続だとしても」

自己啓発を昔はなんだかすごいものだとも思っていたとしたら、今は「ぶつかって行けば、学べるもの」。僕は自己啓発をぶつかりながらやるタイプなんじゃないかと思います。でもある人は、自己啓発も机に座って勉強するみたいにしないとダメだ、とかいうじゃないですか。

朝起きる習慣をつけるために、ベッドから一歩出てみる練習をしてみたり、家の外に出るために、夜の誰もいない時に散歩に出ることから練習してみたり。
自己啓発というものを、怖いものだと思わないで欲しいですね。

偶然自分のことを友達にカミングアウトして話してみたら、「なんだ、これは別に自分にとって黒歴史じゃないかもしれないじゃん」「もしかしたら、長所になるかもしれない」、そういうふうに考えられるようにもなったんです。

実は、これはみなさん全員に投げかける僕のメッセージだったんです。それでももしこの言葉に共感できないなら、もうちょっと勇気が必要な人たちには、こう言ってあげたいです。
「世の中を怖いものだと話す人と付き合うのをやめな。たいしたことないよ」。
人々が僕に、世の中をあまりにも怖いものとして教えてきたような気がするんです。それで、臆病になってしまっていました。
いざぶつかってみたら、思ったよりも、僕のことを助けてくれるという人もたくさんいるし、世の中には素晴らしい仕事をしている人もたくさんいました。


「いつか部屋の外に出る人たちのために」

ひきこもりという分野は、世の中の死角地帯にあってまだ把握できていなかっただけで、もう何年か放置するだけで、8050問題、9060問題になるかもしれませんよね。そうなってしまったら、もういくら変化をさせようと思って努力しても、簡単にはいかないと思います。僕は、世の中にこのことを伝えていく人になりたいんです。



 


 

 

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