Seoul Life

韓国のソウルに住んでいます。 日本語・韓国語教育関連、文化や政治、韓国で話題のニュースや舞台などについて書いていきたいと思います。



秋に、国際交流基金からの招待で、「祝/言」という日中韓共同制作の演劇を大学路の劇場で鑑賞した。
その記事が先日、国際交流基金のブログに出ていた。 


日・中・韓で共有された被災地の痛み―演劇「祝/言」
-長谷川孝治(青森県立美術館舞台芸術総監督、「祝/言」劇作・演出家)-

(国際交流基金ブログ) 



教授から行って見なさいと言われて行ったこともあり、事前にどういう話かまったくわからなかったため、一緒に行ったみんな(韓国人)はあまり期待していなかったようだったが、内容が素晴らしく、見終わった後に皆本当によかったと口々に言っていた。

自分も以前日中韓の共同制作作品2つの制作に参加したことがあったが、

(コンキチ http://youtu.be/80rJ4Rp3RIs)

(もう一つのシルクロード http://youtu.be/NMArUNRaYak)

このような作品こそ国際交流基金のような支援をする意味のある公演だと感じさせてくれる内容だった。


僕は途中、あの日のことを思い出しいたたまれない気持ちになったが、韓国の人々はどう感じていただろうか。


この作品の中で、東北の大学で中国人の先生のゼミ学生であった日本人青年と韓国人の女性が、東北の海岸沿いのホテルで祝言を上げることになり、日中韓の音楽家が集まって前日にリハーサルで合奏をする。

それはまさに文化の違いを超えた心の交流の場であった。

しかし、その直後、無情にも大地震と大津波が街を襲う。

生き残ったのは偶然その場にいなかった中国人の先生と福島出身の日本人の2人だけ。


この作品のために東北を始め韓国、中国を出演者とともに回って来たことが、写真とともに演出されていた。


あれからもうすぐ3年が経つ。

津波の映像を見つめ続け、ACの広告と緊急地震速報のシグナルがトラウマになったあの日々を思い出す。

あれから何ができただろうか。

あれからちゃんと変われただろうか。

あの日にたくさんの人たちにさようならをして、僕たちはいまどこへ行こうとしているのだろうか。 

今から10年ほど前、僕より少し年下くらいの韓国人の女の子がパソコンのキーボードカタカタと自由に叩いているのを見て驚いたことがある。
なぜなら、そんなふうにキーボードを自由に使いこなせる日本人の女の子はあまり見たことがなかったからだ。
その子は別にパソコンなどに詳しい感じではなくて、どちらかというと機械に疎い感じの女の子だったから、余計にギャップが感じられたのかもしれない。
今から10年ぐらい前の話だが、現在もそんなに状況は変わっていないのではないだろうか。
韓国ではほとんどの携帯はスマホに変わってしまった感があるが、日本は未だに6割がガラケー(画面をタッチしないやつ)だ。
僕の高校・大学の同期の中でも、mixiやFacebookなどで連絡を取れる人はせいぜい半分ぐらい。
今日報道されたニュースでは、携帯電話への依存度が高い生徒が問題行動が多いと伝えていたが、使っている携帯電話の82%はスマートフォンだという。ということは、まだ2割弱はガラケーで携帯依存になっているわけだ。
ブラインドタッチにとどまらず、コンピュータそのものの家庭への浸透も、まだ完全に市民権を得た感じがしない。
それが「遅れている」と素直に感じられるほどに、韓国ではITが、だいたい40歳程度以下のほとんどの層に浸透している。
一つには、9割に迫る異常なまでの大学進学率が高さがあるだろう。
日本では、大学に行けなくても出世ができない位で食べるのには困らないだろうが、韓国では食べていけないらしい。
この国は、おそらく儒教に由来する学者志向で、小さい頃から運動よりも勉強ばかりに熱を上げさせる。
日本の大学のキャンパスは運動部の掛け声、音楽系の部の演奏の音などで放課後は賑やかなのが普通だと思うが、韓国のキャンパスはそういうものがあまり見られず、校内は静かなことが多い。
(実際は校外で飲んで騒いでいたりするのだが)
日本のあとを10年、20年遅れて辿っていると言われる韓国。
高度情報化社会で、これからどこへ行こうとしているのだろうか。

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